女っていつの時代も怖いンすよ。【エリザベート・バートリー】編
毎年夏、起き抜けの脱水症状から来る吐き気と午前中ずっと戦う毎日を過ごしています、地獄です。どうも、ずゆ。です。
女っていつの時代も怖いンすよ。
目的のためならば、色香を使って惑わし、権力や地位で制圧し、残酷な手段を使っても厭わない。
その根本にあるのは、嫉妬、虚栄心、愛の飢え、向上心、はたまたただの性欲だったり。
そうして、どんどんどんどん周りを、国を、歴史を、狂わせていく。
最期は己も残酷に。
けれど、はたから見たら狂ってることでも、それにまんまと嵌り惑わされていく人もいるわけで。
だから、悪女と呼ばれた女性たちは皆どこか魅力的。
だから、すげぇやべぇ女のすげぇやべぇ話って、面白い。
ちょっとでも怖グロいのがあかん方はブラウザバック推奨。
エリザベート・バートリー(1560~1614)
若い女性を次々と殺害し、真っ赤な血のシャワーを全身に浴びて狂喜する伯爵夫人。
知っている人も多いのでは?
吸血鬼伝説で知られたトランシルヴァニア
エリザベートは1560年、代々トランシルヴァニア公国を領有した一族であった、ハンガリーの大貴族バートリー家に生まれた。
バートリー家は近親結婚が多くされ、黒魔術に夢中になった者、非道に暴力をふるう者など、陰鬱で残忍な雰囲気があった。
そういった環境に育ったエリザベートも、幼少時から傲慢ですこぶるヒステリックだったそう。
15歳の時、5つ年上の軍人フィレンツ・ナダスティと結婚。スロヴァキア国境に近い、小カルパチア山脈のふもとのチェイテ城で暮らすようになる。
付近の森には狼や狐が棲み、暗く寂しく怪しげなところであった。
孤独な日々
夫のフィレンツは軍役に出向いて留守がちで、4人の子どもたちも次第に手がかからなくなるとエリザベートはどんどん孤独に陥っていった。
そんな彼女の楽しみは、自慢の白い肌を維持するために薬草や香油をあつめて「秘薬づくり」に励むこと。
しかし、生きている限り人は老いるもの。鏡を見るたびに、皴や肌の衰えに耐えられず、周りに当たり散らすことが多々あった。
そうこうしているうちに、夫は病死、子どもたちも独立していき、より一層孤独になっていった。
すべては「若さを保つため」
きっかけは、新入りの侍女に手伝わせて髪を梳いていたときのこと。
侍女の手際の悪さに苛立ったエリザベートは、怒鳴って彼女の手を叩いた。
そのはずみで、彼女のはめていた指輪が侍女の頬をかすめ、血がエリザベートの腕に飛び散った。
血を拭い落とそうとしてエリザベートは驚いた。
血の付いたところが若々しく輝いて見える。
拷問器具の数々
それからというもの、彼女は村中の若い女性を見つけて拉致することに熱中した。
裸にした娘を浴槽に入れ、鞭で打ち、剃刀で傷をつけた。滴る生き血を浴槽にためたら、そこに浸かり、血をすくっては肌に塗りたくっていた。
殺し方はだんだんと残酷なものになっていく。
人間1人がしゃがんで入れるほどの大きな鳥籠に、娘を押し込んで、縄で吊り上げる。
エリザベートの命令とともに、焼きゴテを娘の体に押し付ける。
籠にはびっしりと鉄のとげがあり、後ろに逃げれば背中が、前に逃げれば顔や胸が刺さり、血まみれになる。
エリザベートはその鳥籠の下に立ち、血のシャワーを浴びる。
鉄の処女とよばれる拷問器具はよく使われたという。
等身大の人形で、全面が観音開きのように2つに割れる。中は空洞になっており、びっしりと鋭い針がついている。
そこに娘を入れ、扉を閉める。
生きたまま肉や骨は砕かれ、血は浴槽に流れる仕組みとなっていた。
総計600人を殺害
どんどん娘が消えていくのを不審がった村人たち。中央政府に訴え、ついに捜査が始まった。
チェイテ城の地下室に降りた捜査官が目にしたものは、数々の拷問器具、血が固まり全身真っ黒な亡骸、腐りかけの亡骸の数々。
当のエリザベートは悪びれもせず冷笑を浮かべるばかり。
裁判では、エリザベートを手伝った城のものは皆火あぶり。ただしエリザベートは貴族であったため、死刑を免れたものの、終身禁固を言い渡された。
チェイテ城の一室に監禁された。
その部屋は、窓はすべて塗りつぶされ出入口は頑丈に閉鎖され、水と食べ物を入れるための小さな穴だけ。
3年の間耐え続け、54歳で亡くなった。
おわりに
エリザベート・バートリーは有名すぎて話すまでもないかなと思いつつも、
久しぶりに彼女についての本を読んだら面白かったので、さっくりとまとめて紹介してみました。
たくさんはしょったけど、ポイントはおさえてわかりやすく書いたつもりです、、。
エリザベートは変態的性欲者であることもさることながら、
女性の若さへの執着や美貌へのこだわり、そのあくなき探求心は、きっと現代も変わっていないなと感じました。
最後までみていただきありがとうございました~~~~!!!!